Acerca de
エンディングノートとは
ワタシハドウシタイノ?
最期の準備をするノートを書いていく、というのはもちろん、
それだけではないことが、
たくさん詰まっているのが『エンディングノート』です。
ワタシハドウシタイノ?のに気づいていって、
こうしたい…へ進んでいくためのもの。
いまを大切に生きるためのもの。
最期を考えるということは、いまをどう生きるかということ。
何を選択していくかということ。
いまのその選択が、【生きる道】を作っていっている。
最期の迎え方も、本当の自分の気持ちがわかってないと、
周囲の人との関係も場所も選ぶことができない。
わたしは、最期まで生き方選びたい…
そう思っています。
お任せされた家族も大変だと思うので。
何でもない元気な時、笑って話せるうちに向き合っておくと、
自分のために、大切な人のためにすることが、
いまを変え続け、最期の繋がると思っているから。
自分の本当の気持ちを知っていますか?
自分を大切にしていますか?
無意識にそれは、消えてしまっていないだろうか?
誰かの、何かのせいにしてどこかにいってしまったり、見えなくなってしまっていないだろうか?
何かに頑張っているうちに、
流されるように過ぎていく時間に感じなくなって、見えなくなっているものはないだろうか?
エンディングノートで、自分掘り起し作業をして気づいて知っていきます。
いまを大切に進めますように。
自分を大切にできますように。
繋がる大切な人を大切にできますように。
そして、伝えていこう。
あなたの生きる「いま」をカタチを残すことは、
あなたを大切に想う誰かの生きる支えにもなるかもしれない。
エンディングノートで、生きた道をたどっていくうちに、
いまの自分を書き出すことで、
とことん自分に向き合うノート。
この先の希望を書くノート。
ポイントは、素直にね。
素直になる、正直になるのが苦手な人にも、書くこと残すことを本当におすすめしたいです。
なんとなく、イメージしていただけたでしょうか?
最期だけに使うものではない。
向き合い、書いたときから意識が変わるエンディングノートなのです。
意識が変わると行動が変わる。
最期まで自分らしくを目指すには、
ワタシハドウシタイノ?なしでは、語れません。
イノチノサイゴハドコ?
【命の最期は、選択が必要なんです。】
最期はこう迎えたいなぁ。
それは、誰が決定するのだろうか?
誰にもわからない、突然やってくる最期。
順番も本当は、歳の大きい順とは限らない。
これを読んで、当たり前じゃんと思われるかと思います。
その準備は、ありますか?
縁起が悪いなんて言っている場合ではないのです。
命の会話ができるということは、
いまを大切に選んで生きることに繋がっていきます。
何か起きた時、自分の大切な人も後悔少なくあってほしい。
そう思いませんか?
いまできることがある。
自分で選択が最期までできたらいいのですが、できなくなって家族が決断する場面もたくさんみてきました。
イノチノサイゴハドコ?
どこにするか。
どこまで、、
考えると家族との会話も自然と変わってきます。
必要なことがわかります。
延命治療はする?しない?
最期の住処は、どこ?
どれもすぐには決められないものです。
お任せします。
家族にお任せ。
行政にお任せ。
最期が本当にそれでいいかのか。
私自身がみてきた現場から、
手間かけるから。お世話になるから言えない。は優しさなのかなぁと疑問が残ります。
スムーズにいくようで、こんなはずじゃなかったという思いや現場を体験してきました。
想い合う、そこに愛があるのにすれ違う、、
できるだけ、想いは相手に伝わるカタチで残したい。
命の最期の現場や、終の住処の勤務体験から、感じたこと。
できる準備がわかる、できる。
それは、自分を大切にすること。
大切な人を大切にすることだと思います。
自分自身の言葉で、想いを残すことができるものがエンディングノートです。