top of page

Acerca de

DSC_0053 (1).jpg

​エンディングノートとは

​ワタシハドウシタイノ?

最期の準備をするノートを書いていく、というのはもちろん、

それだけではないことが、

たくさん詰まっているのが『エンディングノート』です。

ワタシハドウシタイノ?のに気づいていって、

こうしたい…へ進んでいくためのもの。

いまを大切に生きるためのもの。

最期を考えるということは、いまをどう生きるかということ。

何を選択していくかということ。

いまのその選択が、【生きる道】を作っていっている。

最期の迎え方も、本当の自分の気持ちがわかってないと、

周囲の人との関係も場所も選ぶことができない。

わたしは、最期まで生き方選びたい…

そう思っています。

お任せされた家族も大変だと思うので。

 

何でもない元気な時、笑って話せるうちに向き合っておくと、

自分のために、大切な人のためにすることが、

いまを変え続け、最期の繋がると思っているから。

自分の本当の気持ちを知っていますか?

自分を大切にしていますか?

無意識にそれは、消えてしまっていないだろうか?

​誰かの、何かのせいにしてどこかにいってしまったり、見えなくなってしまっていないだろうか?

何かに頑張っているうちに、

流されるように過ぎていく時間に感じなくなって、見えなくなっているものはないだろうか?

エンディングノートで、自分掘り起し作業をして気づいて知っていきます。

いまを大切に進めますように。

自分を大切にできますように。

​繋がる大切な人を大切にできますように。

そして、伝えていこう。

あなたの生きる「いま」をカタチを残すことは、

あなたを大切に想う誰かの生きる支えにもなるかもしれない。

エンディングノートで、生きた道をたどっていくうちに、

いまの自分を書き出すことで、

とことん自分に向き合うノート。

この先の希望を書くノート。

ポイントは、素直にね。

素直になる、正直になるのが苦手な人にも、書くこと残すことを本当におすすめしたいです。

なんとなく、イメージしていただけたでしょうか?

最期だけに使うものではない。

向き合い、書いたときから意識が変わるエンディングノートなのです。

意識が変わると行動が変わる。

最期まで自分らしくを目指すには、

ワタシハドウシタイノ?​なしでは、語れません。​​​

​イノチノサイゴハドコ?

【命の最期は、選択が必要なんです。】

 

最期はこう迎えたいなぁ。

それは、誰が決定するのだろうか?

誰にもわからない、突然やってくる最期。

順番も本当は、歳の大きい順とは限らない。

これを読んで、当たり前じゃんと思われるかと思います。

その準備は、ありますか?

縁起が悪いなんて言っている場合ではないのです。

命の会話ができるということは、

いまを大切に選んで生きることに繋がっていきます。

何か起きた時、自分の大切な人も後悔少なくあってほしい。

そう思いませんか?

いまできることがある。

​​

自分で選択が最期までできたらいいのですが、できなくなって家族が決断する場面もたくさんみてきました。

イノチノサイゴハドコ?

どこにするか。

どこまで、、

 

考えると家族との会話も自然と変わってきます。

必要なことがわかります。

延命治療はする?しない?

最期の住処は、どこ?

どれもすぐには決められないものです。

お任せします。

家族にお任せ。

行政にお任せ。

最期が本当にそれでいいかのか。

私自身がみてきた現場から、

手間かけるから。お世話になるから言えない。は優しさなのかなぁと疑問が残ります。

 

スムーズにいくようで、こんなはずじゃなかったという思いや現場を体験してきました。

想い合う、そこに愛があるのにすれ違う、、

できるだけ、想いは相手に伝わるカタチで残したい。

命の最期の現場や、終の住処の勤務体験から、感じたこと。

できる準備がわかる、できる。

それは、自分を大切にすること。

​大切な人を大切にすることだと思います。

自分自身の言葉で、想いを残すことができるものがエンディングノートです。

bottom of page